祈願祈祷体験談

24歳男、神社で願掛けをして強い心が持てた

僕は、24歳既婚者男性です。

現在1人の子供妻と3人で暮らしています。

僕が願掛けしたのは、20歳の時でした。

当時、その頃は本当に運が悪く毎日が波乱万丈な日々を送っていました。

仕事面でも大きな仕事を任されていたのにかなりの大きなミスをしてみたり、ずっと親友だった人に裏切られたりして今思えば結構精神面がズタボロだったと思います。

ある日のこと、居酒屋で友達と最近全然運もないし悪い事ばかりだと話をしていると、(何にも悪いことが起こらないようにお願いせえよ)と半分冗談な感じで言われました。

ですが、その当時の僕はそんな冗談でもすがりたい気持ちでした。

そこで、インターネットで神社を調べて神様にすがりに行きました。

そうしないと本当に病んでいたので自分がつぶれてしまいそうだったからです。

そしてそこの神社で願掛けをしました。

(毎日が平和でありますように)と願をかけました。

それを終えると少しばかり気持ちが楽になった気がしました。

あれから4年ぐらいたちましたか、その4年平和だったかと言われると全然平和ではありませんが今では1人の子供が産まれて3人で暮らしている毎日が幸せです。

でも、その時願掛けをして良かったと思います。

やはり気持の問題が大きいと思います。

実際私は、願掛けをして仕事で失敗をしても大丈夫と言い聞かせることもできたし人間関係でもなんとかなるやろとポジティブな考え方ができるようになりました。

本当は、神社に行って願掛けをせずともつらいことが起きても大丈夫、と自分に言い聞かせられる強い心が必要なんだと思います。

当時の僕は全然そんな強い心を持っておらずネガティブな思考ばかりでしたが、つらいことが起きてもポジティブ思考になることができ本当に救われました。

願掛けは、人を思い込ませる事で願いもかなっていくということかなっと僕は思います。

是非皆さんも、毎日が願掛けしたみたいに自分の願いは叶うと思い込んで日々過ごしてほしいです。

29歳男 神社で願をかけるもおばあさんは旅立ってしまいました

こんにちは。

僕は29歳の男性です。

職業として現在、自営業(フリーランス)をしております。

そんな僕は最愛の母方のおばあちゃんを、9歳(小学4年生)の時に大腸がんにより亡くしてしまいました。

あの時の精神的なショックというのは、昨日のように覚えております。

僕は一生あの精神的なショックの度合いは忘れはしないでしょう。

僕のおばあちゃんは僕が小学1年生の時から、体調不良を訴えておりました。

そして、病院に行ったりして色々と検査をしましたが、異常はないということでした。

別な病院に行った時には手遅れの状態になっており、その病院の先生は家族を呼んで「あと3カ月しか持たない」という事を告げられたのです。

ですがその後、冬虫夏草やら色々な延命治療により3年ほど生きる事ができたのです。

ところが僕が小学4年生の時には、かなり体調も悪くなり、歩くことさえもままならず、トイレに行くことができないので、鼻やら口の管を通して、生きている状態でした。

このおばあちゃんの姿は僕にとっては、とてもショックなものでして、今でも覚えております。

そこで僕は近所の神社に行って、願をかけてみました。

「どうかおばあちゃんをお助けください!まだ死ぬなんて早すぎます。

どうか!どうか!」とお願いをしました。

僕のその願い事を聞いていたのか、後ろに並んでいた若夫婦が泣いてくれました。

「坊やおばあちゃん助かるといいね!」「助かるよ!大丈夫!」等と励ましてくれました。

この時の心情としては、「神頼みになるようではもうおばあちゃんは長くないな」と思いました。

子供ながら結構、現実的な子度だったと思います。

後悔していることはおばあちゃんともう少し一緒に過ごしておけばよかったと思いますし、よく電話をくれたのでもっと話をしておけば良かったと思っております。

よかったと思う事は、自分の素直な気持ちで願をかけることができたので、願をかけたことには後悔はしておりません。

最後になりますが、アドバイスとしては、やはり「神頼み」でもしてみるものです。

そうすれば納得して、死を受け入れることができるのです。

そして、自分の気持ちを素直にぶつけて、吐いてみることによって、スッキリします。

よって我が人生に後悔はなし!と言える日が、いつの日か来るのです。

42歳男、願掛けによって人生そのもこも変えられました!

私は42歳になる男性、会社員であります。

私は仕事で営業職のほうをしているのですが、ある時大事な会議に参加することに決まったのでした。

私はそれまでは会議に参加するほどの能力も知識も経験も全くありませんでした。

ところが決まった以上は、しっかりと会議を迎えれるようにと思い、私なりに対策を考えたのでした。

そして、またその会議が無事に終えれるようにと私は近くの神社へと願掛けに行ったのでした。

そして、しっかりと無事に会議が終えれるようにと念入りに願ったのでした。

そして、いよいよ会議が始まり私もまたしっかりと質疑応答に応えることが出来ました。

緊張感だけしか残っていませんでしたが何とか無事に終えることが出来たので本当にホッとしたのでした。

そして、改めてその願掛けしにいった神社へとお礼を言いに行ったのです。

そして、それからは会議にも度々参加することになったので私はしばらくは願掛けを込めて、またその神社へも良く通うようになったのでした。

そして、今なのですが未だに毎回では無いのですが願掛けのため神社へのお参りには行くのです。

因みにですが、最近では更に家にあるお札に手を合わせてみたり、または家を出るときには必ず右足からなど様々に増やして行ったのです。

またそのおかげあってか最近では不幸なことよりも幸せなことの方が良いのは間違いありません。

最近では願掛けのために行ったことがあったのですが、おかげさまで妻に子供が出来たので、やはり私の心の中では願掛けの効果があったように思えて仕方がないのです。

また、願掛けと言っても、これもまた人それぞれですので一概に人にはオススメ出来ないのも事実であります。

最近では願掛けするほどの余裕もないのですが、私にとってはこの1度の願掛けのおかげでかなり、人生が大きく変えられたような気がしています。

たかが願掛けされど願掛けと言っても過言ではないぐらいです。

願掛けとは本当に強い味方でもあり、また少し怖さも感じるものだと思いました。