32歳女 子授けの願掛けをしたけれど
現在、30代の主婦です。
今、妊活をしているのですが、全然私の元に子供がやってくる気配は感じません。
タイミング法しか行っていませんが、大抵6か月続けて医師の元、行えば、結果が出ると最初に病院で言われました。
しかし、今も私のお腹は膨らむことはありません。
もう2年以上続けており、そろそろ体外受精をと医師からも進められているところです。
こんな状況なので、夫婦で子宝の願掛けにも行ってきました。
行った神社は、大阪にある住吉大社の末社・種貸神社と、京都にある岡崎神社、あとは東京の水天宮にも行きました。
どれも子宝、子授けに縁がある神社です。
種貸神社では子授けのお守りセットを授与していただけるので、それを求めに行きました。
子授けのセットは小さな置物と、お守り、絵馬です。
置物は、子供が生まれた時に名前を背中の部分に書いて、お礼参りして返すのだそうです。
お守りもいつも身につけるように言われました。
口コミによると、参拝に来て願掛けをした人の中には1か月後には子を授かったという人もいるようです。
でも、私はその後全然結果が出ていないので、神様も忙しいんだろうなと思っているところです。
岡崎神社でも、手水所の黒いウサギを撫でると子宝に恵まれるという話を聞いたので、念入りに触ってきましたが、特に効果を得ていません。
社務所で授与していただけるウサギの土鈴もいただいて帰りましたが、特に効果は得ていません。
水天宮も同じくきちんと願掛けをしましたが、何も結果が出ていません。
あんまりにも他の神社に行くから神様が嫉妬したのでしょうか。
全然授かる気配がないので、どうしたものかなと思ってしまいます。
そもそも落ち込む私を励ますつもりで主人が連れて行ってくれているので、なんだか主人に対しても本当に申し訳ない気持ちになってしまいます。
願掛けはたくさんしているのに、どこも望みを叶えてくれないので、神様はいないのではと思ってしまいますが、きっと順番待ちなのだと思うようにしています。
あまりにも多くの人が願掛けに来るから順番を待っているのでしょう。
その時が早く来ることを祈るばかりです。
31歳 女性 続ける事ができた自分を褒めたい
こんにちは、咲愛です。
私には、2人の子どもがいます。
1人目を妊娠しているときは、とてもうれしく、会える日を待ちわびていました。
母親教室にも行き、出産のことを看護師さんや助産師さんから聞いて、想像を膨らませていました。
しかし、教科書通りの出産なんて言うもは、ほどんとなく、私の場合も私が思っていたものとかけ離れたものとなりました。
それは、なかなかお産が進まず、最終的に緊急帝王切開となってしまったことでした。
その後の子育ても、慣れていないことばかりで、毎日、とにかくしんどいといった感じでした。
そんな子育てに慣れてきたころ、2人目を妊娠しました。
うれしさはありましたが、出産への恐怖と産後のマタニティブルーやうつが心配になってきました。
まだ、なにもなっていないのに、不安でした。
一つずつ解決していこうと考え、私は、手術が怖いんだ、とわかりました。
そこで、帝王切開後にも普通分娩ができる病院を探すことにしました。
病院はありましたが、危険も伴うことの説明を受けました。
どうか、最後まで頑張れますように、集中が続きますように、諦めませんように、そして、何より、私と赤ちゃんの命が危険になるようなことがありませんように、こんなことを願ようになりました。
その時の自分にできることは、体重を増やし過ぎないこと、適度な運動をすることしかありませんでしたが、何かしたい気持ちが抑えきれず、私は、写経をすることにしました。
もともと字を書くことが好きだし、筆も上達できるかもということもあったので、はじめることは簡単でした。
しかし、これが思っていたより、長いのです。
私は1時間半から2時間かかります。
でも、どうか私たちを守って、私に越えさせて欲しい、そのことばかりを考え、毎日毎日書き続けました。
家族も私のその姿をバカにしたりはしませんでした。
お腹もどんどん大きくなり、机に向かうときに邪魔になるほどでしたが、とにかく続けました。
ついに始まった陣痛は、やはり痛く、辛く、やはり大変なことでした。
周りの気遣いも、もうどうでもよくなるような感覚になっていたとき、主人が「あんなに写経がんばってたやん!てきるよ!」と声をかけてくれました。
『こんな時になんて?え?写経だって?』と一瞬思ったのですが、ふと我に返り、『そうやった』と。
そして、ものすごく時間はかかりましたが、命に係わることなく終えることができました。
続けてきた結果、自分への自信ともなりました。
52歳女性、小学校低学年のとき父親が恐怖でした
私は50代前半の専業主婦です。
窮地に立たされた時など、よく願掛けをしてきましたが、何を差し置いても、一番心に残っている願掛けといえば、今からお伝えします、私が小学校の中学年の時の、マリア様へ、手を合わせ強く強くお願いをしていたことをお話したいと思います。
とても辛くて重い内容で、誰にも話せない、これからも周りの誰かに話すことはありません。
この場所をお借りして、今だから話せる、ここでしかお話の出来ない事実を書かせていただきます。
マリア様というのは、高さが20センチくらいの白い像で、半分物置となっていた、姉と私が寝ていた部屋に置いてあった像の事です。
当時、父親が酒乱で、外でお酒を飲んで帰って来るのが分かるのが、家に辿り着く100メートル位先から、酒に酔った怒鳴り声が聞こえ来るんです。
。
その声が段々近づいて来て、帰宅となります。
それからが本当に大変で、家の中で大声で「ぶち暴れてやる」とか「「ドス持って来い」とか「コノヤロウー」とか、それはそれは恐怖でしかありませんでした。
その上、襖を壊したり、食器を壊したり、テーブルを壊したり、母親が殺されるんじゃないかと、ブルブル震えていました。
深夜、恐怖の余り、家から逃げ出したことも度々ありました。
お酒が入らないと静か、と言う訳でもなく、気に入らないことがあったり、気に障ることがあったりすると、テーブルをひっくり返して食器と食べ物をぐちゃぐちゃにするは、テレビをひっくり返してブラウン管を壊したり、今でこそ、DVとかハラスメントという言葉が当てはまりますが、当時はひたすら、願をかける事しか、私にできるものはありませんでした。
そこで、マリア様はすごい力を持っているはず。
マリア様に助けて欲しくて、すがるようになりました。
手のひらを合わせて、気持ちを強く集中し念じました。
「お父さんがお酒を飲んで暴れませんように」「お願いします、お願いします、お願いします」と何十回も念じました。
願いが通じたのか、暴れない時は、マリア様に感謝の言葉言いました。
でも、願いが通じない時の方が多く、マリア様の像に願をかけてもかけなくても変わりないことに、ふと気付き、徐々に願掛けはしなくなりました。
父親はといえば、その後、物は壊さなくはなりましたが、私が27歳で家を出るまで、罵声は続き、近所の人とも怒鳴り合いのケンカをしたり、治りませんでした。
私は母親に何度も「出ていこう」と言ったのですが、出てっても、どこまでも追いかけてきて殺される。
と言っていました。
母親は体が弱くて、気の弱い人で、50代前半に他界しました。
私は50代前半の専業主婦です。
窮地に立たされた時など、よく願掛けをしてきましたが、何を差し置いても、一番心に残っている願掛けといえば、今からお伝えします、私が小学校の中学年の時の、マリア様へ、手を合わせ強く強くお願いをしていたことをお話したいと思います。
とても辛くて重い内容で、誰にも話せない、これからも周りの誰かに話すことはありません。
この場所をお借りして、今だから話せる、ここでしかお話の出来ない事実を書かせていただきます。
マリア様というのは、高さが20センチくらいの白い像で、半分物置となっていた、姉と私が寝ていた部屋に置いてあった像の事です。
当時、父親が酒乱で、外でお酒を飲んで帰って来るのが分かるのが、家に辿り着く100メートル先から、酒に酔った怒鳴り声が聞こえてきました。
その声が段々近づいて来て、帰宅となります。
それからが本当に大変で、家の中で大声で「ぶち暴れてやる」とか「「ドス持って来い」とか「コノヤロウー」とか、それはそれは恐怖でしかありませんでした。
その上、襖を壊したり、食器を壊したり、テーブルを壊したり、母親が殺されるんじゃないかと、ブルブル震えていました。
深夜、恐怖の余り、家から逃げ出したことも度々ありました。
お酒が入らないと静か、と言う訳でもなく、気に入らないことがあったり、気に障ることがあったりすると、テーブルをひっくり返して食器と食べ物をぐちゃぐちゃにするは、テレビをひっくり返してブラウン管を壊したり、今でこそ、DVとかハラスメントという言葉が当てはまりますが、当時はひたすら、願をかける事しか、私にできるものはありませんでした。
そこで、マリア様はすごい力を持っている。
マリア様に助けて欲しくて、すがるようになりました。
手のひらを合わせて、気持ちを強く集中し念じました。
「お父さんがお酒を飲んで暴れませんように」「お願いします、お願いします、お願いします」と何十回も念じました。
願いが通じたのか、暴れない時は、マリア様に感謝の言葉言いました。
でも、願いが通じない時の方が多く、マリア様の像に願をかけてもかけなくても変わりないことに、ふと気付き、徐々に願掛けはしなくなりました。
父親はといえば、その後、物は壊さなくはなりましたが、私が27歳で家を出るまで、罵声は続き、近所の人とも怒鳴り合いのケンカをしたり、治りませんでした。
母親に何度も「出ていこう」と言ったのですが、出てっても、どこまでも追いかけてきて殺される。
と言っていました。
母親は体が弱くて、気の弱い人で、50代前半に他界しました。
そして、今現在はといえば、父親は極めて元気で、一人暮らしをしています。
幼少の頃の体験は心に深い傷を残し、今でも夢の中で、酔っぱらって人様に迷惑をお掛けている夢を見ます。
関係あるか分かりませんが、今現在私は不眠症で精神科に通院中です。
姉は、寝言で父親を死ねと言っていました。
そして、今現在はといえば、父親は極めて元気で、一人暮らしをしています。
幼少の頃の体験は心に深い傷を残し、今でも夢の中で、酔っぱらって人様に迷惑を掛けている夢を見ます。
関係あるか分かりませんが、今現在私は不眠症で精神科に通院中です。